【100歳の少年と12通の手紙】①オスカーの最期 

この映画、観て良かったです。

素敵でした。😊

 

10歳の少年を中心とした物語ですが、子供向けではありません。

「子供の心を守りたいと考えている」大人向けのフィクションです。

 

この映画について、気になることがあったので、原作も読んでみました。

ここから先は、映画を観た後でぜひ、読んでください。

 

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                                                                                                      (original photo: Erkan Utu)

安楽死じゃない!

オスカーが亡くなるシーンについて、疑問に感じた方も多かったのではないでしょうか?

どうして、この時?😟と…

ネット上では、「安楽死だった」との情報までありましたが…

違います!

 

ずっと、ベッドのそばで寄り添っていた、両親とローズさんに、席を外させた後。

ドュッセルドルフ先生とゴメット看護師長は、息を殺すようにして、見つめ合っていました。

オスカーが寝ているベッドに、かがみこまずに。

そうしないと、オスカーが旅立てないからです。

 

その後の、「実際は、あの子が皆を見守っていたのだ」という、先生の言葉。

オスカーは、周りの人たちを悲しませたくなくて、死ねなかったのです。

目を開けることはないけれども、ずっと気を張り続けていたということ。

先生たちには、それが分かっていたのでした。

 

親族が亡くなるとき、「不思議なことが起きた」という話を、何度も聞いたことがあります。

危篤状態だったけれど、自分がそばに行くまで、息を引き取らずに、待っていてくれたみたいだった、と。

それなので私は、このシーンを、何の疑問もなく受け止めていました。

オスカーは、最期の最期まで、頑張っていたんだな、と。😭

(現実では、患者さんの体調や環境はそれぞれ違い、本人の意思ではどうにもできないことの方が多いと思います。それなので、「不思議なこと」とされているのです。)

 

原作では?

実際、本人や家族の希望なしに、安楽死などさせるはずが無いのです。

(もし、この映画の舞台が、安楽死を容認している国であったとしても。)

映画では、そのような様子を暗示する場面は、ありませんでしたが…

もしかしたら、原作の方に、何か安楽死をほのめかす記述があるのかと思い、調べてみました。

でも、そのような内容は一切ありませんでした。

 

逆に、映画より少し分かりやすく書かれている箇所がありました。

ローズさんが神さま宛てに書いた、手紙の中に。

 

‟ あの子はわたしたちを悲しませないよう、そのときを待っていたのだと思います。

あの子の死をみとるという残酷な思いを味わわせたくなかったかのように。

あの子のほうこそ、わたしたちを気づかっていたのです。”

 

オスカーは、3人が席を外す時を、待っていたのではないか、と彼女は感じたと、神さまに伝えています。

彼の意思で、あの時を選んで亡くなったと思う、ということですね。

でも実際は、すぐ隣にいたとしても、少し離れた所にいたとしても、悲しみは同じはずなのです。

私はむしろ、オスカーは、自分を愛してくれている人たちを悲しませたくなくて、「最期の力をずっと振り絞り続けていた」ということだと思います。

どの瞬間に亡くなればよいか、なんて考える余裕も無く。

そして、それに気付いた先生たちが、(周りの人たちの強い気持ちから、)オスカーを解放してあげた…

そのおかげで、オスカーは、ふっと力が抜け、旅立てた、と考えられます。

 

オスカーの余命

オスカーは、12月31日に亡くなりました。

 ローズさんが、これから毎日会いに来ると言った日から、ちょうど12日目です。

でも、この日に亡くなることは、本当は、誰にも予測できなかったのではないでしょうか?

 余命を日単位で、なんて、困難ですから。

いくら物語とはいえ、予測した日に亡くなったように感じられて、「安楽死なのでは?」という憶測が広がったのかもしれません。

 

 でも私は、ローズさんが、12月20日から12日間、毎日会いに来ると言ったのは、(余命があと12日間だと先生に言われたからではなく、)年末までに12日間しかなかったからだと思うのです。

オスカーの病状では、年を越せないと考えられていて、「長くても12日間、と判断された」ということなのではないかと。

その12日間を、精一杯生きたということが、オスカーの最期のシーンから、強く伝わってきました。

彼は、余命を生き尽くしたのだと、著者(であり監督)は、教えてくれています。

  

母親の反応

オスカーが亡くなった時、少し離れた所にいた母親がそのことに気付く、というシーンがありました。

誰から聞いたわけでもないのに、母親は、コーヒーのカップを手から落とし、オスカーの病室に走って行く、という風に。

これは、どういうことなのでしょうか?

このことについては、全く「手がかり」はありませんでした。

また、原作には書かれていない内容です。

 私が考えた理由は、2つあります。

 

先生方の行動の意味から

 この状況では、母親は、(付き添いによる)自分の疲れなどはどうでも良いと感じると思います。

1秒でも長く、子供のそばにいたいから。

でも、先生方に休憩を勧められた時には、判断能力も下がっていたはずで…

言われるがままに、コーヒーを飲んでいたのです。

 

そしてふと、「オスカーと離れていたくない、ずっと付き添っていたいのに」と感じて…

そして、「どうして、先生方が、今この状況を作ったのか?」と、考えたのではないでしょうか。

今、自分たち3人が同時に席を外すことの意味。

休憩なら、ひとりずつでも、良かったはず…

そして、「オスカーが旅立つことを悟った」ということではないでしょうか。

オスカーを追いかけるように、病室に戻った、と考えられます。

 

不思議な力

もう1つの可能性は、第六感というか、鋭い感覚でしょうか。

勘というよりも、「普段なら分からない違い」を察知する感覚に近いかもしれません。

病室にいるはずの、子供の気配が消えた、という感覚。

子供の匂いを、親は敏感にかぎ分けられると思いますが、それが消えたことに気付いた、とも考えられます。

(でも、十メートル以上の距離がありそうだったので…😟)

 

それとも、最期にオスカーの魂の「お別れの声」が、心に響いた…?

 

この場合は、もう亡くなってしまったことには気付いているけれども、それを認めたくなくて、病室に駆け込んだ、と考えられます。

 

先にも書いたように、ヒントとなるような内容は一切無かったので、この映画を観た人、それぞれの解釈が母親の行動の「理由」なのかもしれません。

 

 

 今回は、(いきなりなんですけど、)オスカーの最期のシーンについて書きました。

他にも気になる点があったので、また改めてまとめていきたいと思います。🙂