『インターステラー』考察⑤ プランBへの違和感(1)説明と実際の計画

映画「インターステラー」を観て、プランBについてモヤモヤしていました。

これは、「受精卵を運んで別の星で育てる」植民計画なのです。

何が気になるかと言うと、映画では、この計画を肯定しているのか否定しているのか、はっきりしていないところ!

この点が引っ掛かって、ノベライズ本を読むことにしたほどです。

(もっと詳しく知らなければ、ひとことで片付けられないな、と思って。)

 

今回は、曖昧なところを明確にして、さらにプランBから推測できることも書いていきます。

  

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 (original image: Konevi)

 

という訳で、映画を観ていない方には興味の無い内容になってしまうかも…😳

「インターステラー」は最近、あちこちの配信サイトで観られるので、映画の後で読んで頂けるとうれしいです。

(ネタバレも多少ありますから…)

  

クーパーが初めて「プランB」を知った時

映画では、ブランド博士(アメリア)から、プランAとは別の計画として、説明を受けるシーンがあります。

(プランAは、「地球上の人類を別の星に移住させる」植民計画。)

クーパーは険しい表情をしながら、「地球上の人々を見捨てるのか?」というような発言をします。

これに対して、「そうならないために、プランAを成功させなくてはいけない」として、クーパーがプロジェクトへの参加を依頼される、という流れなのですが…

ここで、プランBに対する、クーパーの意見はありません。

 

ところが、ノベライズ本では、この点が詳しく書かれています。

 

クーパーは「不快感を拭えなかった」と。

「(効率は良いけれど)人間的な感情や温情の入る余地はない」と感じているのです。

映画を観ている側が、プランBに対して抱いた「違和感」を言い得ています。

 

「器材で最初の(受精卵)10個を人工培養する」「その後は代理母で人口が急増するはず」との説明に対しては、

「(アメリアは)トウモロコシの植え付けを説明しているような調子で答えた」

と書かれています。

 

客観的に見ても、「明らかに不自然」ということです。

  

実際、「30年もすれば数百人規模になるかも」という考えは、計算上だけで可能な話だと思います。

いくら妊娠・出産を人の代わりに担える器材があるとしても…

ひとりの子供を育てるのに、大人ひとりがかかりっきりにならなくてはいけない時期は、結構長いですし。

しかも、子供たちに与える水や食料、住居の調達を同時にしていく必要があります。

もちろん、衣食住が足りているだけでは、子供は健やかに育ちません。

そんな中、代理母を拒否するという選択が無いとしたら… 

「過酷」としか言いようのない情景が浮かんできます。😣

 

「(もともと希望した訳でもない)植民者たちに、そんな生活を始めさせるつもりなのか?」と、疑念を抱かせる箇所でしたが…

 

小説では、クーパーも不快感を抱いていることが示されていて、このプランBのやり方を肯定していないことが分かります。

  

マンの星から脱出後

次に、プランBについてのクーパーの反応が分かるのが、氷の惑星から宇宙に戻った後です。

マン博士が一部爆破させてしまったため、宇宙船(エンデュランス号)の損傷は激しく、内部の点検が行われました。

映画では、この時アメリアが、受精卵は無事であることをクーパーに伝えます。

それに対してクーパーは、「よかった」と、ひとこと応えるのみ。

(実際は、「そうか…」と訳しても良いぐらいの、軽い「Good.」なのですが。)

マンから、ブランド教授の真意を聞かされた後、初のプランB関連の設備との対面でしたが、それ以上の反応はありません。

 

小説では、この箇所も詳しくなっています。

 

クーパーは、「個人的には、(受精卵を)見るのもいやだ」と考えていることが書かれています。

「自分の子供たちの死、彼が知っている人類の絶滅を意味しているのだから」と。

 

でもこれは、極端すぎる嫌悪感です。

冷静に考えれば、間違っていますから。

 

それらの受精卵を運ぶために、クーパーがエンデュランスの操縦を任されたことは確かです。

でも、プランBを遂行するために、地球にいる人類を見殺しにするわけではないのです。

クーパーがこの計画と引き換えに無くしたのは、残された時間を家族と共に過ごすということ。

 

また、受精卵たちには、何の罪もありません。

 

ブランド教授の嘘(プランAのためにと、クーパーの参加を説得したこと)を知った後で、冷静に考えられていない様子がうかがえる場面です。

 

しかし、その気持ちをアメリアに話したりはしていません。

クーパーの気持ちは、これから先のことに向かっていて、過ぎたことを話すヒマなどないのですから。

映画で、この部分が上記のようにあっさりとしているのも、「今できることを確実にやるしかない」という切羽詰まった状況だからだと思います。

  

意外と柔軟なプランB

実は、クーパーがそのように考えていた時、アメリアが何を考えていたのかも、小説には書かれています。

 

その中に、

「クーパーとふたりで、1度に何人の子どもを育てることができるだろうか?5人?10人?」

というような内容があります。

そして、この件に関して、子育て経験のあるクーパーに尋ねようとしているのです。

 

最初の説明での「初人工培養の子供10人」は、「エンデュランスで向かう大人4人」+「新しい星で待っている研究者」の、5人がかりで育てる場合の想定だったということでしょうか?

でも、大人ふたりで、10人育てる可能性も捨てていない…😶

  

ただ、ここで分かるのは、「最初は絶対に10人」と考えている訳ではなかったこと。

(ふたりの子供を育てた)クーパーの意見を尊重するつもりでいるのですから。

(結局、ストーリー内でクーパーと相談する機会はありませんでしたが。)

 

そうなると、最初の人工培養後も、開発や子供たちの成長具合を見ながら、相談して決めていくつもりなのだろうということも分かります。

 

そして、彼らには、頼もしい味方がいることも事実。

ターズやケースという、高性能人工知能ロボットです。

さらに、エドマンズが連れていたロボットが利用できる可能性も…

そうなると、多くて3体です。

これらのロボットは、ミラーの星で膝上の水中を、大人を抱えて走ったほどの力持ち!

(変形も可能なので、迎えに行くときのスピードも速かった!!)

子育て中の様々な危険に対しても、事故が起こる前に阻止できるかも…

育児に専念させれば、もしかしたら1体あたり子供1.5人分ぐらいのお世話ができそうです。

アメリアが、そこまで考慮しているのかどうかは…?🙄

(可能性はあります!)

  

プランBは必要だったのか?

映画を観た時には、プランBに対して、「無理でしょ!」と思った私です。

また、「そこまでして、人類という種を存続させる必要があるのかな?」とも感じていました。

(誰のためにもならなさそう、というか…)

 

でも、小説の内容から推測すると、実際のプランBはもっと柔軟で、非人道的なことをする意図は無かったようです。

 

また、プランAが実現できるか分からないうちから、同時進行で進め、「プランAが不可能と分かってから、プランBを実行する」という展開でしたから、その点も納得しています。

プランBを実行するために、プランAを犠牲にしたことは無いのですから。

実際のプランB(プランAが不可能である時点の想定)

以下のような状況が想像できます。

*居住可能な惑星を見つけたら、水や食料を確保しつつ開発を進める。

*地球から持ってきた道具や、技術を利用できる。

*目途が立ったら、育てられる人数だけ子供を人工培養する。

(子供が生まれるまでの9か月間は、開発にほぼ専念できる。)

 プランBに違和感を感じられる生活

実は、初めてプランBの説明を聞いた時の拒絶感は、この映画を観ているタイプの人たちにとって、特に強いものだったのではないかな、と考えています。

というのも、「映画を観る」というような、「個人のためだけに使える時間」がある人たちですから。

「人類の存続」という、個人にとっては利益の無いことのために、人々がこき使われる状況に、嫌悪感さえ抱いたのかもしれません。

 

でも、一般人がそのような生活を送れるようになったのは、人類の歴史からみたら、ごく最近のことです。

今から数百年前の地球では、特権階級に従わなければ命の保証もなく、自由を制限されて働いていたという人達が、人口の大多数を占めていたはず。

個人の楽しみのために使える時間など、全く無い毎日の連続で。

見知らぬ土地を開拓しながら、ほぼ自給自足の生活をしていた人々もたくさんいました。

また、現代でも、奴隷のように働かされている人々はまだ多く、同時にギリギリの状況で子供を育てています。

 

そして、そういう状態と比べたら、プランBで受精卵から育てられる人々の方が、まだ自由があるのかもしれない、と思うのです。

今よりも未来の世界であれば、情報の共有から、人々はもっと公平さを追求しているでしょうから、それを元に法律などのルールは修正されているはず。

地位や貧富の差の無い星で、皆ゼロから始めることになります。

宗教上の対立も、習慣による人権侵害も、初めからありません。

人の数が数百人・数千人と増えれば、また格差は生まれるでしょうが、これまでの地球生活ほど、へだたりができるかどうかは疑問です。

これまでの歴史から学ぶこともできるのですから。

(問題が起こる前に、先を見通して修正していけるところもあると思います。)

 

このように考えてみると、苦しいだけではなく、暮らしやすい世界になる可能性もありそうです。

プランBのおかげで実現できること

つまり、新しい星で生活する人々が、幸せを感じつつ過ごせるかもしれないのです。

(新天地の生態系への影響などは、とりあえず置いておいて…)

 

そうなると、人類がこれまでに築き上げてきた、知識や技術を、未来に託すことができます。

また、芸術作品についても、(たとえ実物が無くても)伝えていくことはできるかと…

(たくさんの幸運が重ならなければ完成しなかった貴重な作品たちなので。)

 

ブランド教授は、1度失ってしまったら、もう元には戻らないこれらのものを存続させようとした、ということだと思います。

 

すべては、最適な星が見つかり、さらに開発が順調に進めば、可能な話なのですが…

教授は「彼ら」が人類を導いてくれるという可能性を信じ、迷っている場合では無かったと思われます。

「わずかでも望みがあるならば、それに賭ける」という選択をした結果が、プランBだったようです。

 

結局、この計画への違和感は、アメリアの当初の説明の仕方が原因であり、意図されていた本質の部分が、映画を観た時には分かりませんでした。

しかし、アメリアはどうして、そのような説明をしたのでしょうか。

全く疑問を感じずに…

この点に関しては、また改めて書きます。

(ひどく長くなってしまったので、続きは分けることにしました。😀)