【蛍火の杜へ】原作と映画 比較

f:id:SpicyChai:20190627114147j:plain                         (original photo: suju)

映画を観て、原作コミックに興味を持ったので、『愛蔵版 蛍火の杜へ』を読みました。 🙂 

そして感じたのが、「ストーリーが、全く変えられていない」ということ。

ここまで、原作に忠実な映画を作ることができるのか!!と感激しました。

(映画については、こちらに書きました。 ↓ )

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今回は、原作に対する、映画の演出上の違いをまとめました。⇓

ギン

私がまず気になったのは、ギンの顔!

原作のイラストでは、もっと狐っぽいです。

「何十年(何百年?)も森の奥で生き続けて、そうなった?」というような妖艶さ。

映画では「きれいな(普通の)青年」という顔で、その方が親近感があり、ほたるの気持ちに共感しやすいので、映画用キャラクター設定の際に変更されたのかも。

あと、原作では、ギンの服装が日によって違い、それが逆に人間っぽいです。

映画では、夏の普段着は「蝶の柄のシャツ」で統一されていて、毎回服装の違うほたる(人)とは違う雰囲気が出ているかと。

足元は、映画では下駄、原作ではサンダル。(愛蔵版はカバーのみ下駄)

角張った下駄は、男性的な印象が強く、個人的には重要なポイント。😉

回想を語るほたる

原作でも、ギンとの出会いから別れまでを、「ほたるによる回想」という形で描いています。

ほたるが、思い出して語っている言葉で始まり、所々、物語の進行・説明の役割を「イラストなしの言葉だけ」が担っています。

そして映画では、「回想しているほたる」の映像を所々挟みつつ、物語が進んでいきます。

映画の冒頭は、高校を卒業後の夏、ほたるが自宅を出て祖父の家に向かうシーン。

その後、バスを待つ間や、電車で車窓を眺めながら回想している様子が、原作の言葉と共に映し出されるという演出です。

出かける際、あれこれ心配する母親に、「毎年行っていたんだから、大丈夫」と言っていることから、高校生になった(高校1年の)夏にギンと別れ、高校2年、3年の夏には行かなかったらしいことが伝わります。

母親から、「履歴書」や(面接用のスーツに合わせる)「黒い靴」を持ったか念を押され、手にはスーツが入っている(であろう)ガーメントバッグを持っているので、「山神の森」の近くで、新しい生活を始めようとしている前向きな様子。

このような、「ギンを失ってから数年考えて、結局、思い出の場所を近くに感じられる所で暮らすことに決めた」という内容は、原作には描かれていないことなのですが。

でも、原作にもある最後の「さあ、いこう。いきましょう」というほたるの言葉は、こういう意味だと思うので、映画では、具体的に表現されていると感じました。

回想をすべて語り終えた最後、ほたるは祖父の家に着き、この「さあ、いこう。いきましょう」の言葉と共に、その裏手の「山神の森」が映し出されているので、なおさら。

映画での広がり

短編コミックを映画化しているので、映像では膨らませてあります。 😀

原作では、思い出の場面場面を切り取ってつなげている、全く無駄のない描かれ方。

映画では、その場面ごとの前後を、原作との違和感なく広げてあります。

特に、「妖怪たちの夏祭り」にギンとほたるが出かける箇所は、原作では3ページのみのところを、映画では、見所と言えるぐらい詳しく描いています。

そして、そのお祭りは、妖怪たちが人のまねをして楽しむイベントなので、現在の人間のお祭りとは、少し違うのです。

大きな木の樽に金魚を泳がせている金魚すくいや、色とりどりの風車屋さん、妖怪による獅子舞など・・・

別世界に迷いこんだような、まるで夢のような、不思議な雰囲気と魅力にあふれています。 

映画で使われていない内容

このように、原作を映画で膨らませている箇所がほとんどですが、原作にあり、映画で使われていない箇所が1つだけあります。

中学生になったほたるが、自分の成長に比べ、ギンがほとんど変わっていないことに気付いた後、しんみりと感じる気持ち。

心のどこかで 

ギンが本当は人間なのではないかと 

あわい期待を持っていたけど

好きな相手が人間である場合と、そうではない場合の違いについて、受け止めた場面だと思います。

映画でも原作でも、私は最初から「ギンは人間ではない」と、完全に信じ込んでいたので、原作でこの部分を読んだとき、少しドキリとしました。

ファンタジーとして受け入れていた物語が、リアルに感じられたというか。

実際に小学生が、ほたるのような体験をしたら、確かに、相手が「本当は人間なのでは?」と思う(思いたい?)こともあるはずなので。

なぜこの部分は、映画では使われなかったのでしょうか?

映像では、うちわを顔にのせて、しばらく泣いていたらしいほたるの様子が、繊細に描かれています。

「ギンが本当に人間ではない」ことに気付くということは、「ギンとは、普通の人間と同じような恋愛はできない」ことに気付くことと、同じなのかもしれません。

原作と映画の関係・・・感想

映画での違いは、原作の魅力を損なうことは全く無いように感じました。

むしろ原作の世界観を膨らませて、たくさん見せてくれた、という印象を受けました。😆

特に、まるで極楽浄土のような「山神の森」の奥の世界が、カラーで表現されていて、さらに魅力的になっていると思いました。